深川と大道芸とぼく(2)

こんにちは。
ハードパンチャーしんのすけです。

先日、江戸の下町の魅力を発信し続ける下町探偵団さんのYouTubeにて、出演・紹介していただいたことを受けての、今までの深川での活動の振り返り後編です。

YouTubeでどんなことを話したかは、こちらを見てくださいね。

さて、前回の記事では、深川美楽市を中心に自分と深川での大道芸について書きました。
>>深川と大道芸とぼく(1)

そして、もう一つ。
ぼくと深川を語る上で深川美楽市とともに欠かせないのは、かつて門前仲町にあった「門仲天井ホール」(通称「門天ホール」)があります。
門天ホールがなければ、ぼくの人生も違ったものになったであろうし、もしかすると今の日本のジャグリングの在り様も大きく変わっていたのではないかとすら思います。

今回は、門天ホールの思い出とともに、ジャグリングの舞台公演を通して深川のまちと関わったことについて、書き残します。

お付き合いいただけたら幸いです。

なければつくろう

思い立ったのは2005年の年末。

大道芸フェスティバルにもそこそこ出演できるようになった頃。
そして、この時はアメリカで開催されているジャグリングイベント(IJA)のコンテストにて、日本人が大半の賞を勝ち取った年でした。今まで、IJAのコンテストを教材のようにしてジャグリングを覚えてきた世代としては、その時の興奮が忘れられません。

ぼく自身、当時、ジャグリングをジャグリングとして魅せることを期待されてフェスティバルに呼ばれていたこともあり、今までの大道芸の見せ方とは違う、「純粋」なジャグリングを見てもらいたい、見せたい、という欲求がありました。

その一方で、当時は、大道芸のジャグリングというのはバスキングを目的としたものとしての見方が大勢でありました。
なんというか、全体としては活躍の場がない…というよりも自分が目指すものが活きる場がない。
さらに、「ジャグリングはいつ見ても同じだからつまらない」なんて意見もあったりして、
ジャグリングは面白い!
と思っているぼくとしては、悶々とした気持ちを抱える日々であったわけです。

ジャグリングを知ってもらいたいし、そのためには、もっとメジャーな舞台でジャグリングを見せたい、自分もそんな舞台でジャグリングしたい!
…そんな風に思うようになりました。

…と言っても、舞台でジャグリングをする、なんてオファーは来ないし(そんな舞台はそうそうあるものではなかったし、営業努力という言葉も頭に浮かばなかった)、待てども実現しそうもない。さらに言うと、ぼくの力不足が大きいでしょう。

そんな気持ちを抱え続けて、夢で見たのか、なんのなのか、ある朝目覚めた時に思ったのです。

うん、自分で舞台をつくろう。

それが始まり。
今思い返すと、無知でやる気だけあったのがよかったな、と思います。あれこれ計算してたら、たぶん、何もできなかった。

まずは地元のひとに知ってもらいたい

思い立った動機が
「本当のジャグリングを知ってもらいたい」
ということだったので、ジャグラーを相手にするのではなく、一般のひとに見てもらいたい、と思いました。

一般と言ってもあまりに対象が広い。
そこで意識したのは、まずは地元のひとです。すなわち、深川。

最初に企画したジャグリング公演は、「堀の外のジャグリング」です。深川という土地を意識して、和風なネーミングになりました。このあと、「堀の外のジャグリング」は年に一回のペースで、計4回公演を行いました。

そして、2010年の小休止を経て、2011年から「門仲ジャグリングナイト」(通称 もんじゃナイト)と題するジャグリングライブを月に一回、計17回実施しました。もんじゃナイトは、会場となっていた門仲天井ホールの閉館に伴い終了となりました。

2006年から2012年に渡り、主に門仲天井ホールを舞台にしてジャグリング公演を行ないました(2009年「堀の外のジャグリング第参回公演」のみ、深川江戸資料館にて開催)。

開催当時から地元深川へのアピールを考えて、告知を行ないます。
…と言っても、当時は深川での人脈がほとんど、というよりもほぼなかったので、インターネット上での告知が主でした。

SNSとしては、mixiが最初かなぁ。その後、2009年くらいからはTwitter。
何より当時は、ブログやウェブサイトを通して、公演の宣伝や深川へのアピールをしていました。

そんなことをしていると地元メディアにも取り上げてもらえるもので、いくつかの媒体で活動を紹介してもらえました。プレスを流したわけではないので、情報の流通が現在ほど多くなかった当時だからこそ目に止まった、という気もしますが、そんなことを通して、少しずつ地域に活動が知ってもらえたのはとてもありがたかったです。

活動してきた中で、地域への浸透と言う意味でとりわけ印象深いのは、2011年から一年半に渡って開催した「門仲ジャグリングナイト」(もんじゃナイト)です。

ジャグリングと門仲天井ホール、もしくは黒崎さん

もんじゃナイトを語る上で欠かせないのは、会場となった門仲天井ホール(門天ホール)です。

もんじゃナイトを構想していた時
ジャグリングをもっと気軽なものにしたい!
と言う思いが第一にありました。

見るのも
見せるのも
気軽。

さらに、
今日は時間があるからふらっとジャグリングでも観て帰るかぁ
なんて日常があったら。それが深川で実現できたら、すごくイイ!

そんなことを思いつつ、度々お世話になっていた門仲天井ホールの黒崎さんに相談をしに行きました。

すると、次々にアイディアや提案をもらい…「門仲ジャグリングナイト」が生まれました。

黒崎さんとの会話がなければ、「門仲ジャグリングナイト」は生まれなかった(もしくはまったく違ったものになっていた)だろうと思います。


振り返って見ると、もんじゃナイトは1年半と言う短い期間のライブ企画なのですが、

ジャグリングを劇場で見せることができる!

と言うメッセージは、多くのジャグラーに伝わったのではないかな、となんとなく思っています。


黒崎さんには、いつも応援していただきました。

もんじゃナイトもそうですが、「ながめくらしつ」をはじめ、この場所があって生まれたものは少なくないように思い、ぼくの中では、黒崎さんは日本のジャグリング史に名前を残したいひとの一人です。


もんじゃナイトと深川

「深川」と言うテーマからすると、やや話が逸れました。

もんじゃナイトの頃には、Twitterがある程度浸透していました。2011年です。
そして、じわじわと浸透してきた時期でもあり(東日本の震災を契機としてTwitterが注目され、大きく広まった時期でもあり)、今よりも気軽なコミュニケーションがTwitterにあった時期でもあります。

それがよかった。

もんじゃナイトは、
ジャグリングの公演を
ジャグリングを知らない地域のひとへ伝える

ということを意識しました。
発信する上で、「深川」を意識し、深川のひとたちとコミュニケーションを取ることに重点を置きました。

それがどれだけのひとに伝わったか、数で言えば、計17回の公演で数十人と言ったところですが、それでもジャグリングを知らないひとたちが興味を持って、実際に足を運んでくれたことは嬉しかったです。そして、実際にみてもらっての感想は、概ね好評でした。

ジャグリングや大道芸のことをほとんど知らないひとたちがジャグリングを観て、
ジャグラーが自分が培ったジャグリングをきちんと演じることは、
ちゃんと面白い。

そんな確信を持てたのは、とても感慨深くありました。
(なんで感慨深く思うかは、もちろん、理由があるのですが、それはまた別の話で、どこかで機会があれば書きます。)

もんじゃナイトは、回を追うにつれてチケットが取り難くなったのですが(会場のキャパは50が限界だった)、地元のひとの中にも素早く予約を入れて度々足を運んでくれるひとたちがいました。

ジャグリングや大道芸の文脈で捉えられることが多い企画でしたが、ぼくとしては「地域に根差す」ということの手応えを感じられたことが、とても嬉しく思っています。それは、ずっと望み、目標としていたことだったので。

残念ながら、門仲天井ホールの閉館とともに、「堀の外のジャグリング」から始まり「門仲ジャグリングナイト」まで紡いできたジャグリングの物語も閉じてしまったのですが、2006年から2012年まで続けた深川での公演は、
ジャグリングや大道芸で深川を楽しくする!
というぼくの目標を叶える上で、とても大きな位置を占め、そして、それ以降の活動の土台となりました。


語り出すときりがないのではありますが、以上で深川と大道芸・ジャグリングの話をひとまず終わりにしたいと思います。

手探りではじめ、その中でいろんなひとに出会ったり、一緒につくったりしながら、深川のまちやひとをより知ることができました。

そして、それは今も続いています。

大道芸やジャグリングを通して、
まちを、まちのひとを知ることで、
自分の好きが増え深まるのは、とても嬉しいことだな、と思います。

その「好き」を、さらに、大道芸やジャグリングを通して、
より多くのひとに伝えて、
「好き」の循環が生まれたら幸せだな、と思います。

深川と大道芸とぼく(1)

こんにちは。
ハードパンチャーしんのすけです。

東京の下町・深川周辺に住むようになって、かれこれ15年以上になります。

歴史を感じるまちに面白さを感じ、この土地での活動も増え、
「深川をジャグリングや大道芸で盛り上げたい」
と思うようになり、いくつかのことをしてきました。

今回、江戸の下町の魅力を発信し続ける下町探偵団さんのYouTubeにて、出演・紹介していただきました。

ここで話し足りなかったり、説明不足だなぁ、と思ったこととして

  • 今まで深川でやってきたこと
  • 日本の大道芸の歴史について

ということがあります。後者については、もう少し言葉を尽くして話ができたらな、と思いつつ、きちんと説明するには話が大きくなりすぎるので、今後少しずつ書いて行ければと思います。

この一連の記事では、自分の深川での活動について改めて書いてみます。

書きはじめたら、だいぶ長くなりそうだったので、記事を分けることにしました。
お付き合いいただけたら、幸いです。

はじめに

明確にいつから「深川を大道芸やジャグリングで盛り上げたい!」と思ったのは定かではないのですが(昔のブログやらを見れたらわかったかもしれないけれど、それも大方消えてしまった)、そう思ったのには、

  • 大道芸フェスティバルに出演し、いくつもの土地を訪れる中で、まちの中にある大道芸を皮膚感覚で味わった
  • 自分で舞台公演をはじめた

この2つが大きな影響を及ぼしています。

そんなことを踏まえて、(少なくとも)2つの記事を書きます。

  • 大道芸がまちの魅力を引き出すこと
  • ジャグリング舞台公演企画でまちと繋がったこと

今回は、そのひとつめです。
大道芸とまちの魅力について。

ヘブンアーティストとぼく

先の動画でも話題に上がりましたが、東京都の大道芸ライセンスに「ヘブンアーティスト」という制度があります。

「ハードパンチャーしんのすけ」としてヘブンアーティストのライセンスを取れたのは、2003年の第3回ヘブンアーティスト審査になります。

そして、それを皮切りにフェスティバルやイベントでの仕事も増えました。当時は、「ヘブンアーティストバブル」と言ってもよく、社会的にヘブンアーティストの注目度がありました。

上野公園で大道芸をすれば、イベント会社やあるいはイベント企画をしているひとから直接のオファーがあることは度々で、「ヘブンアーティスト」を売りにしたイベントが実施されていた印象です。

そんな背景もあり、大道芸フェスティバルもたくさん開催されました。
そういえば、ほぼ同時期かな、「優勝賞金100万円」みたいな大道芸コンテストも年に何回もあったような。
とにかく景気の良い時代でした。大道芸的に。

その時のぼくは、運よく大道芸フェスティバルに度々出させてもらえました。そこで、芸の勉強をたくさん積ませてもらい、そこで得た経験でなんやかやとここまで生きています。感謝です。

大道芸とまち

まちなかに大道芸があふれている大道芸フェスティバル。
複数日にまたがってそのまちに滞在することがある場合には、特に普段のまちの様子も垣間見ることができます。そこで感じるのは、大道芸がまちを、まちのひとの顔を映し出すんだな、ということです。

大道芸を通して、楽しい時間が流れるのはもちろんなのですが、まちの個性を引き出すきっかけに大道芸がなるのではないか、と感じたのです。

どういうことかというと…
仮に出演者が同じであったとしても、土地によって大道芸フェスティバルに流れる空気というのは、それぞれに異なり、個性があります。

芸人からすれば、観客の反応が異なるのはもちろんのこと、その場所に流れる空気感というのでしょうか、それぞれに独特なものがあり、それによってパフォーマンスも変わってくる。

何より大道芸を通して、まちがひとが解放されるのを感じられる。
この場所が解放された時にどんな顔を見せるのだろうか。
そんな賑わいを見せるのだろうか。

大道芸フェスティバルを通して、いくつかの土地の「顔」をみてきた時に、では自分が住む「深川」という土地は大道芸というフィルターを通したら、どんな「顔」を見せるのだろうか。
みたい!
そして、みんなの幸せな顔をみたい!
そう思ったのが、素朴なところです。

そもそも深川という土地は、「祭り」を中心に回っていると言っても過言ではない雰囲気があります。
江戸から続く、伝統が生活に根付いている。
そして、昔からの盛り場であり、芸事がかつて根付いていた土地でもありました。

昔の土地の記憶に想いを馳せれば、大道芸という道端の芸能が、この場所で盛んになればちょっと面白いのではないか、とも思う訳です。

ぼくは、この土地に来て、歴史が色濃く残る空気に魅了されました。
そして、その歴史の中に芸能が織り込まれている。
自分が行っていることと土地がつながった時に興奮しましたし、
自分が関わっていた他所での経験が、またその思いを強くしたのでした。

今思う大道芸とまち

「深川に大道芸を届けたい!」
と思ってから10年以上が経ちました。

深川の中でも、清澄白河にて開催している「深川美楽市」では年に2回、大道芸を届けて10年あまりになります。

深川ではないのですが、ここ2年ほどは、江東区亀戸の十三間通り商店街(明治通り)の歩行者天国にて、月に一回のペースで「亀戸大道芸」を実施しています。

そして、深川オブ深川、門前仲町では、さくらまつりをはじめとしてイベントに大道芸が関わらせてもらうようになりました。

先の書いたように、大道芸はその場所の魅力を引き出す力を持っているように思いますし、そのようにして地域に溶け込んで欲しいな、と思いつつ、ぼくは大道芸を企画しています。

例えば、清澄白河の深川美楽市。
清澄白河の魅力は、様々な個性を受け入れる懐の深さ、そしてそれを可能にするのが根底にあるアート性、そして、まちの歴史(いや、歴史という言葉を使ってしまうと、多くのまちで歴史はあるので雑な言い方だと思うのですが…)

深川美楽市自体、「美しいもの 楽しいもの なんでも市」というコンセプトがあ理ます。このコンセプトは、元々の意図を超えて清澄白河のまちの在り方をよく表しているな、と思います。
念のために言っておくと、このコンセプトはぼくが考えたわけでなく、深川美楽市を立ち上げた白濱万亀さんによるものです。コンセプトって大切ですね。

そんなことを受けて、深川美楽市では、パフォーマーが個性を発揮できる自由な場所であることを大切にしています。
パフォーマーもその場にいるひとも自由に自分を表現できる、というのはアートな空間であると思うし、もしかすると「遊び」という言葉でも良いかもしれません。伝統的な祝祭空間である「祭り」とは違った意味で、幸せで祝祭的な空間ができたらいいな、と思っています。
(余談ですが、もともとこの場所が、通行止めにできるのも「縁日」のためだったのです。そういう意味でもふさわしい時間になると良いな。)

一方、亀戸大道芸。
もともとは「昔あった下町情緒を取り戻す」ということを意図して始まった大道芸イベントを、引き継ぐ形で今行っています。
亀戸も、やはり歴史の地層が重なるまちです。そして、昭和においては東京の東の玄関口とでもいうのでしょうか、中核のひとつ担う街でありました。
亀戸に関わると、地域のひとの「亀戸愛」と強く感じました。助け合いの精神というか、それが「下町情緒」のひとつの現れなのかもしれません。
実際に大道芸を演っていると、地域のひとのあたたかさを強く感じます。地域のひとたちに自然と助けられて、亀戸大道芸が育っている、育ててもらっている感じがします。
そんなことを踏まえて、亀戸大道芸の場合、地域の風景になって、ひとが自然と集まって交流する日常の場所になる、というのが大道芸の姿なのかな、と思っています。大道芸が特別なものでなくなると良い。

大道芸はまちの触媒

どちらの場合にしても、大道芸というのは、場をつくるための触媒だと思うのです。

大道芸があるから、その土地に合った「何か」が生まれる。
大道芸人は、芸をしてただ去って行くけれど、その場所にその場所ならではの良い変化が起きている。

そんな大道芸の場所を、つくって行きたいなと思うし、つくります。

深川美楽市

大道芸という意味でいえば、ぼくが深川で大きく関わることになった最初は、深川美楽市です。

会場となる深川資料館通りに、当時住んでいました。
夜散歩をして、通りにある縁台に腰掛けてボヤッとしていました。

その時に、
「あぁ、ここはなんて良い空気が流れているんだろう。ここで大道芸ができて、それひとがたくさん来て知ってもらえたらいいな」
と思ったのです。

その時は、今あるような「清澄白河カフェのまち」というようなイメージもなく、商店街も今と比べたら皆無と言っても良いくらい活気はありませんでした。ただ、良い空気が流れているように感じた。

なんでそう感じたのかは、正直わからないのですが…

深川美楽市も、はじめは本当にこじんまりとしたイベントでした。
縁あって「大道芸やってもいいよ」ということになり、ひとりで参加しました。エリアも今の半分。大道芸はぼくひとりでしたが、開催時間中で、なんとか一回ショーをするのが精一杯という感じです。

それでも、深川美楽市の大道芸も、周りのパフォーマーさんたちの協力を得ながら続けて、いつしか清澄白河の認知度も上がり、深川美楽市も広がりをみせて…今の深川美楽市があるのは感慨深いですし、深川美楽市があるからこそ生まれた深川でのつながりをとてもありがたく思います。

それというのも、よくわからなかったであろう大道芸をするっと受け入れてくれた深川美楽市創立者である白濱さんの柔らかさのおかげだと思うし、自分自身、そういう人間でありたいなと思います。

その2へ続く

ハードパンチャーしんのすけ2020

2020年も残り数時間。
そんなタイミングでこの文章を書いています。

2020年は、自分の足元を見つめる時間になりました。
それはもちろん、コロナウイルスにより社会状況が、ガラッと変わったことによります。

それは良くもあり、悪くもあり。

もしもコロナウイルス拡大しなければ、先のことを考えることなく日々を送っていたのかな、と思うと、もしかするとぼくにとっては転機を強制的にくれると言う意味でよかったのかもしれません。

先のことを考えざるを得ない日々が続いていますが、今年一年もたくさんのひとに支えられて、大晦日を迎えることができたことは実にありがたく思います。

お世話になった皆様、応援してくださった皆様、新しく出会った皆様…ありがとうございました!
おかげで2020年も彩りのある一年でした。


今年は、「ジャグリングを伝える」ことが何より実り多かったです。

一つには、オンラインレッスンをスタートしました。
とりわけ、緊急事態宣言下では、想定以上にオンラインレッスンを受講してくださる方がいました。
ジャグリングがこの状況の中、役に立てるのだ、ということを実感できました。

参加してくださった皆様、ありがとうございました!

オンラインレッスンについてはこちら!
https://jugglesson.thebase.in

二つ目は、個人レッスンの増加です。
緊急事態宣言が明けたあたりからでしょうか。個人レッスンの問い合わせが増えました。
個人レッスンの場合は、目標が明確な方が多く、目標に応じて回数もまちまちです。そんな中で、そのひとがジャグリングを通して実現したいことに触れ、一緒にジャグリングすることは、回数に限らずとても刺激的です。

今年聞いた言葉に「生涯ジャグリング」があります。
コロナウイルスによって開催されなかった今年のジャパンジャグリングフェスティバル(JJF)の標語だそうです。
この言葉がとても良いな、と思うのですが、
この言葉が目指すような人生に寄り添うジャグリングを届けられたらな、と思います。

そして、5ボールカスケードへの挑戦をたくさんみられたこと。
5ボールカスケードを練習する段階に至るまでには、十分な時間をジャグリングにかけなければなりません。そこに到達するひとが、今年はたくさんいました。このコロナウイルス下で、教室に通い続けることはたいへんなことであったかと思いますが、ジャグリングを続け、さらに上達を目指す姿は、とても励まされました。
もちろん、新しく教室に通い始めたみなさんもありがとうございます。これからも一緒にジャグリングを楽しみましょう。

もちろん、5ボールカスケードに限らず、ジャグリングを楽しむ姿をレギュラーの教室ではたくさん見られました。教室に来てくれている人たちは、何年もの、長いひとでは10年を越えた付き合いであったりします。
そんなひとたちと今年もジャグリングできたことを嬉しく思います。


ジャグリングショーも大道芸も、このような状況下でも度々行うことができ、感謝です。

中でも、緊急事態宣言を経て、すっかり萎んでいた大道芸界の中、いち早く開催を決断してくれた「日本大道芸フェスティバル」に声をかけていただき、その場でショーをさせていただいたのは、とても幸せでした。

たくさんのリスクを背負って開催を決断してくれたイベントパートナーの皆様、ありがとうございました。

数あるショーの中で、あとひとつ。

秋ごろに、「今年行事が尽くなかった六年生に楽しい時間を」ということで直接声をかけていただいた小学校公演。

「不要不急」という言葉が何か飛び交う世の中で、大道芸は存在理由が揺らいでいるように感じていました。そんな中でショーをさせていただいたことで、ぼく自身がとても励まされました。

そして、何より喜んでもらえてよかった。

お声がけいただきありがとうございました。


続けてきた「深川美楽市」「亀戸大道芸」は、主宰という立場上、悩みに悩んだ一年でありました。

開催ができない時もありましたが、
深川美楽市は1回(元々は年2回)
亀戸大道芸は6回(予定では12回)
開催できました。

コロナウイルスという状況の中で、今までに増して、つながりを感じることもでき、こうやってイベントを開き、みんなで同じ時間と空間とを共有することの幸せを改めて強く感じることができました。


コロナウイルスによって始めたこともあります。

文章を書くことです。
4月から、ジャグリングの週刊メルマガ「PONTE」に、「日本ジャグリング記」と題して連載させてもらっています。
「文章を書きたい」という漫然とした思いを持ちつつ、何年も形にできなかった/しなかったぼくには、ぽっかりと時間があいたコロナウイルスの時間はもってこいでした。週刊ということで、良いペースメーカーとなってくれたのもありがたかったです。

機会をくれた編集長、ありがとう。

来年は、もう少し文章を描きたいな、と思っています。


2020年、本当にありがとうございました。

2021年にどんな活動をするのか、できるのか、まだまだ見えませんが、その時に応じて「ジャグリングで生きて行く」ことをして行きます。

2021年もどうぞよろしくお願い致します。

ハードパンチャーしんのすけ