深川と大道芸とぼく(1)

こんにちは。
ハードパンチャーしんのすけです。

東京の下町・深川周辺に住むようになって、かれこれ15年以上になります。

歴史を感じるまちに面白さを感じ、この土地での活動も増え、
「深川をジャグリングや大道芸で盛り上げたい」
と思うようになり、いくつかのことをしてきました。

今回、江戸の下町の魅力を発信し続ける下町探偵団さんのYouTubeにて、出演・紹介していただきました。

ここで話し足りなかったり、説明不足だなぁ、と思ったこととして

  • 今まで深川でやってきたこと
  • 日本の大道芸の歴史について

ということがあります。後者については、もう少し言葉を尽くして話ができたらな、と思いつつ、きちんと説明するには話が大きくなりすぎるので、今後少しずつ書いて行ければと思います。

この一連の記事では、自分の深川での活動について改めて書いてみます。

書きはじめたら、だいぶ長くなりそうだったので、記事を分けることにしました。
お付き合いいただけたら、幸いです。

はじめに

明確にいつから「深川を大道芸やジャグリングで盛り上げたい!」と思ったのは定かではないのですが(昔のブログやらを見れたらわかったかもしれないけれど、それも大方消えてしまった)、そう思ったのには、

  • 大道芸フェスティバルに出演し、いくつもの土地を訪れる中で、まちの中にある大道芸を皮膚感覚で味わった
  • 自分で舞台公演をはじめた

この2つが大きな影響を及ぼしています。

そんなことを踏まえて、(少なくとも)2つの記事を書きます。

  • 大道芸がまちの魅力を引き出すこと
  • ジャグリング舞台公演企画でまちと繋がったこと

今回は、そのひとつめです。
大道芸とまちの魅力について。

ヘブンアーティストとぼく

先の動画でも話題に上がりましたが、東京都の大道芸ライセンスに「ヘブンアーティスト」という制度があります。

「ハードパンチャーしんのすけ」としてヘブンアーティストのライセンスを取れたのは、2003年の第3回ヘブンアーティスト審査になります。

そして、それを皮切りにフェスティバルやイベントでの仕事も増えました。当時は、「ヘブンアーティストバブル」と言ってもよく、社会的にヘブンアーティストの注目度がありました。

上野公園で大道芸をすれば、イベント会社やあるいはイベント企画をしているひとから直接のオファーがあることは度々で、「ヘブンアーティスト」を売りにしたイベントが実施されていた印象です。

そんな背景もあり、大道芸フェスティバルもたくさん開催されました。
そういえば、ほぼ同時期かな、「優勝賞金100万円」みたいな大道芸コンテストも年に何回もあったような。
とにかく景気の良い時代でした。大道芸的に。

その時のぼくは、運よく大道芸フェスティバルに度々出させてもらえました。そこで、芸の勉強をたくさん積ませてもらい、そこで得た経験でなんやかやとここまで生きています。感謝です。

大道芸とまち

まちなかに大道芸があふれている大道芸フェスティバル。
複数日にまたがってそのまちに滞在することがある場合には、特に普段のまちの様子も垣間見ることができます。そこで感じるのは、大道芸がまちを、まちのひとの顔を映し出すんだな、ということです。

大道芸を通して、楽しい時間が流れるのはもちろんなのですが、まちの個性を引き出すきっかけに大道芸がなるのではないか、と感じたのです。

どういうことかというと…
仮に出演者が同じであったとしても、土地によって大道芸フェスティバルに流れる空気というのは、それぞれに異なり、個性があります。

芸人からすれば、観客の反応が異なるのはもちろんのこと、その場所に流れる空気感というのでしょうか、それぞれに独特なものがあり、それによってパフォーマンスも変わってくる。

何より大道芸を通して、まちがひとが解放されるのを感じられる。
この場所が解放された時にどんな顔を見せるのだろうか。
そんな賑わいを見せるのだろうか。

大道芸フェスティバルを通して、いくつかの土地の「顔」をみてきた時に、では自分が住む「深川」という土地は大道芸というフィルターを通したら、どんな「顔」を見せるのだろうか。
みたい!
そして、みんなの幸せな顔をみたい!
そう思ったのが、素朴なところです。

そもそも深川という土地は、「祭り」を中心に回っていると言っても過言ではない雰囲気があります。
江戸から続く、伝統が生活に根付いている。
そして、昔からの盛り場であり、芸事がかつて根付いていた土地でもありました。

昔の土地の記憶に想いを馳せれば、大道芸という道端の芸能が、この場所で盛んになればちょっと面白いのではないか、とも思う訳です。

ぼくは、この土地に来て、歴史が色濃く残る空気に魅了されました。
そして、その歴史の中に芸能が織り込まれている。
自分が行っていることと土地がつながった時に興奮しましたし、
自分が関わっていた他所での経験が、またその思いを強くしたのでした。

今思う大道芸とまち

「深川に大道芸を届けたい!」
と思ってから10年以上が経ちました。

深川の中でも、清澄白河にて開催している「深川美楽市」では年に2回、大道芸を届けて10年あまりになります。

深川ではないのですが、ここ2年ほどは、江東区亀戸の十三間通り商店街(明治通り)の歩行者天国にて、月に一回のペースで「亀戸大道芸」を実施しています。

そして、深川オブ深川、門前仲町では、さくらまつりをはじめとしてイベントに大道芸が関わらせてもらうようになりました。

先の書いたように、大道芸はその場所の魅力を引き出す力を持っているように思いますし、そのようにして地域に溶け込んで欲しいな、と思いつつ、ぼくは大道芸を企画しています。

例えば、清澄白河の深川美楽市。
清澄白河の魅力は、様々な個性を受け入れる懐の深さ、そしてそれを可能にするのが根底にあるアート性、そして、まちの歴史(いや、歴史という言葉を使ってしまうと、多くのまちで歴史はあるので雑な言い方だと思うのですが…)

深川美楽市自体、「美しいもの 楽しいもの なんでも市」というコンセプトがあ理ます。このコンセプトは、元々の意図を超えて清澄白河のまちの在り方をよく表しているな、と思います。
念のために言っておくと、このコンセプトはぼくが考えたわけでなく、深川美楽市を立ち上げた白濱万亀さんによるものです。コンセプトって大切ですね。

そんなことを受けて、深川美楽市では、パフォーマーが個性を発揮できる自由な場所であることを大切にしています。
パフォーマーもその場にいるひとも自由に自分を表現できる、というのはアートな空間であると思うし、もしかすると「遊び」という言葉でも良いかもしれません。伝統的な祝祭空間である「祭り」とは違った意味で、幸せで祝祭的な空間ができたらいいな、と思っています。
(余談ですが、もともとこの場所が、通行止めにできるのも「縁日」のためだったのです。そういう意味でもふさわしい時間になると良いな。)

一方、亀戸大道芸。
もともとは「昔あった下町情緒を取り戻す」ということを意図して始まった大道芸イベントを、引き継ぐ形で今行っています。
亀戸も、やはり歴史の地層が重なるまちです。そして、昭和においては東京の東の玄関口とでもいうのでしょうか、中核のひとつ担う街でありました。
亀戸に関わると、地域のひとの「亀戸愛」と強く感じました。助け合いの精神というか、それが「下町情緒」のひとつの現れなのかもしれません。
実際に大道芸を演っていると、地域のひとのあたたかさを強く感じます。地域のひとたちに自然と助けられて、亀戸大道芸が育っている、育ててもらっている感じがします。
そんなことを踏まえて、亀戸大道芸の場合、地域の風景になって、ひとが自然と集まって交流する日常の場所になる、というのが大道芸の姿なのかな、と思っています。大道芸が特別なものでなくなると良い。

大道芸はまちの触媒

どちらの場合にしても、大道芸というのは、場をつくるための触媒だと思うのです。

大道芸があるから、その土地に合った「何か」が生まれる。
大道芸人は、芸をしてただ去って行くけれど、その場所にその場所ならではの良い変化が起きている。

そんな大道芸の場所を、つくって行きたいなと思うし、つくります。

深川美楽市

大道芸という意味でいえば、ぼくが深川で大きく関わることになった最初は、深川美楽市です。

会場となる深川資料館通りに、当時住んでいました。
夜散歩をして、通りにある縁台に腰掛けてボヤッとしていました。

その時に、
「あぁ、ここはなんて良い空気が流れているんだろう。ここで大道芸ができて、それひとがたくさん来て知ってもらえたらいいな」
と思ったのです。

その時は、今あるような「清澄白河カフェのまち」というようなイメージもなく、商店街も今と比べたら皆無と言っても良いくらい活気はありませんでした。ただ、良い空気が流れているように感じた。

なんでそう感じたのかは、正直わからないのですが…

深川美楽市も、はじめは本当にこじんまりとしたイベントでした。
縁あって「大道芸やってもいいよ」ということになり、ひとりで参加しました。エリアも今の半分。大道芸はぼくひとりでしたが、開催時間中で、なんとか一回ショーをするのが精一杯という感じです。

それでも、深川美楽市の大道芸も、周りのパフォーマーさんたちの協力を得ながら続けて、いつしか清澄白河の認知度も上がり、深川美楽市も広がりをみせて…今の深川美楽市があるのは感慨深いですし、深川美楽市があるからこそ生まれた深川でのつながりをとてもありがたく思います。

それというのも、よくわからなかったであろう大道芸をするっと受け入れてくれた深川美楽市創立者である白濱さんの柔らかさのおかげだと思うし、自分自身、そういう人間でありたいなと思います。

その2へ続く