サーカス/見世物にまつわる本から(2)「少女椿」丸尾末広

*この記事は、SNSでまわっているブックカバーチャレンジ7日間に沿って投稿しています。基本的に、紹介した本から連想した文章を掲載しています。所謂書評ではありません。エッセイです。また、紹介した本の内容とは「ほぼ」関係ないことが書いてありますので、予めご了承ください。

こんにちは。
ハードパンチャーしんのすけです。

このシリーズでは、「7日間ブックカバーチャレンジ」というSNSでまわっている企画に乗り、サーカスや見世物にまつわる本を紹介します。

どうぞお楽しみください。

本日紹介するのは、丸尾末広「少女椿」です。

少女椿

果たしてぼくはエログロが好きなのか。

しばし考える。

花園神社の酉の市。
数年前の事になるけれど、見世物小屋をみた。蛇女がいた。本当に聞こえたのかどうなのか、
グギッ
という音が蛇を噛む口元から聞こえた。
すごく厭な気持ちになった。

そして、それは今でも忘れられない感触として残っている。

厭だ厭だ。

正直、今この文章を書いていても、当時の感覚が蘇ってきて、厭だ。

…でも、見てしまうのよね。
エログロ。

こういう感覚の元を辿ると、僕の場合は、モンティパイソンがあるかもしれない。

よく覚えてないのだけど、幼い頃にテレビで夕方流れていたような…
あの理不尽に潰されたり、首が飛んだりする即物的な世界。
幼い頃に、面白いのかもわからず、ただ見ていたけれど、 印象に残っている。

そして、90年代というか2000年前後かな、ぼくの場合。渋谷カルチャーと相俟って、モンティパイソンの流れを汲むようなナンセンスものがぼくを捉える。

さらに時を経ると、妖怪に心囚われ、それが芸能史と繋がり、見世物やサーカスへとつながる。

こうして思い返すと、進んでいるようで、広げつつ同じところをグルグル回っているようにも思える。

面白いもんだな。

「サーカスに売られる」伝説について

ところで。

サーカスのイメージって両極端で面白いな、と思うのです。

一方では、メルヘンの世界であり、
一方では、薄暗い世界な訳です。

そもそも芸能は光と陰のコントラストが強い世界ではあるのですが、とりわけ「サーカス/見世物」という世界は、創作においてそのコントラストが振り切れているように思います。

それは大衆性を帯びているからこそ、想像が入る余白があるからかもしれません。

影の部分として、今回の「少女椿」のような世界がある訳ですが…

ぼくの世代(1976年生)でもまだあったように思いますが、
こどもに対して投げかけられる
「悪いことしているとサーカスに売るよ!」
みたいな言葉。

そんな社会の底辺としてのサーカスがありましたよね。
(この辺のレポートは、次の本が面白かったです。
「楽しき哀しき昭和の子ども史」(小泉和子編著)第2章3節「人さらいとサーカス」
※昭和の子どもの楽しい面と哀しい面とを多角的に取り上げたこの本は、とても面白いです。

思い返すと、ぼくがジャグリングを始めた頃の広辞苑には、
大道芸=卑俗な芸
として、大道芸に輝きを覚えたばかりの頃のぼくはショックを受けたものです。
*現在は異なった語釈が書いてあります。

サーカスは、シルク・ド・ソレイユをはじめとして、現在、泥臭さが抜けた光輝く現代サーカスとして生まれ変わりつつあります。

それはとても素敵な世界でありつつ、
縁日の一角に佇む見世物小屋のようなどことなく「暗」を抱えたサーカス/見世物の世界は、ぼくの中でほのかな光をたたえて離さないのです。

「少女椿」丸尾末広

だいぶエログロなので、万人には進めませんが…丸尾末広の絵は、江戸から続く絵の様式美を感じるところも好きです。

映画にもなってます。

ちなみに主題歌は、チャラン・ポ・ランタンですよ(大道芸ファンの中で、分かる人には響くでしょう。)


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