ヘブンアーティスト論—山口晋氏による都市の文化社会地理学的視点から

大道芸を愛する皆さん、こんにちは!
ハードパンチャーしんのすけです。
さぁ、ヘブンアーティスト論の時間ですよ。

今回は、人文地理学地理学)の視点からヘブンアーティストを研究している山口晋氏の論文を見てみます。

ヘブンアーティストを学術的に研究しているひとは、ぱっと調べたところ数少なく、
その上、ヘブンアーティスト事業が始まった直後がピークであるように(今のところ)見えます。
そんな中で、山口晋氏は、10年以上ヘブンアーティストを題材の一つとして研究を重ねている稀有な研究者です。

さて、ここで取り上げる山口晋氏の論文は、以下の3つ。

  1. 山口晋「東京都の文化政策「ヘブンアーティスト事業」と現代都市空間」(都市文化研究 Vol.7 ,pp.55-62, 2006)
  2. 山口晋「「ヘブンアーティスト事業」にみるアーティストの実践と東京都の管理(人文地理 第60巻第4号,p279-300, 2008)
  3. 山口晋「派遣されるヘブンアーティストとイベント化するストリート」(目白大学 人文学研究 第12号 2016年 105-117)

これらの論文では、
行政(東京都)の空間管理はどのように行われているのか、
そして、都市のストリートをめぐる文化実践はどのようになされているか、即ち、ヘブンアーティストがどのように「大道芸」を行っているのか、
またヘブンア^ティストと東京都の関係はどのようになっているのか
というポイントから、ヘブンアーティストの文化社会地理学的な考察を行っています。

そこで最終的に立ち現れるのは、
公共性
の問題になります。

論文の紹介

「東京都の文化政策「ヘブンアーティスト事業」と現代都市空間」(都市文化研究 Vol.7 ,pp.55-62, 2006)

当初のヘブンアーティスト事業は東京の若手アーティストを支援するためのものだった。だが、ヘブンアーティストの活動を地域の活性化や商業振興、観光振興とも関連をもたせたいという動きがみられた。さらに、ヘブンアーティスト事業を集客や賑わい創出の手段として海外にアピールしようとする動きも明らかになった。
一方、ヘブンアーティストの活動は、様々なルールによって制約を受けている。また、ルールを決定する時にも、ヘブンアーティストと事務局の間に対話はなく、事務局と施設管理側との内部折衝によりルールが決定していったことが明らかになった。

ちなみに、「地域の活性化や商業振興、観光振興とも関連を持たせたい」との方向性を都議会にて提示したのは、当時都議会議員であった山崎孝明氏、現江東区長(2007年4月〜)です。

江東区には、江東区文化コミュニティ財団が管理する「KOTO街かどアーティスト」というライセンスがあります。このライセンスは、2008年からスタートしています。
ヘブンアーティスト制度に非常に似た理念を打ち出していますが、山崎区長が都議時に示した見解がより強く反映された制度になっています。

ヘブンアーティストライセンスとKOTO街かどアーティストについては、将来まとめたいと思います。

「ヘブンアーティスト事業」にみるアーティストの実践と東京都の管理(人文地理 第60巻第4号,p279-300, 2008)

本稿では、ヘブンアーティストが管理側と微妙な距離を保ちながら、必ずしも一貫しない方法ではあるものの、実践を重ねている一端を提示した。

 

ヘブンアーティストはこの事業で規定された場所で活動したり、それ以外に活動機会を求めたりして、個別的で、したたかな実践を展開している。ヘブンアーティストは、管理を受け続ける行為主体というわけではないし、管理に対して積極的に抵抗する行為主体でもない。また、東京都の管理も一様ではなく、アーティストに厳格なルールを課することもあれば、ストリートでの定期イベントにアーティストを出演させ、賑わい創出のために利活用することもある。

この論文では、実際に活動しているヘブンアーティストへのインタビューを行っており、興味深いです。ヘブンアーティストの当時の代表的な意見あるいは当時あった空気をすくい取っているように思います。

今、改めてこのような調査をするとどのようなものになるのでしょうか。
当時とは少しヘブンアーティストへのニュアンスが変わっているのではないかしら。

「派遣されるヘブンアーティストとイベント化するストリート」(目白大学 人文学研究 第12号 2016年 105-117)

東京オリンピック・パラリンピックに向けた東京の賑わい創出や集客戦略が進行すればするほど、公共空間をめぐる消費空間化や排除の問題といったような文化的かつ社会的なポリティクスは先鋭化してゆくであろう。また、ヘブンアーティスト事業に関して、この事業が拡充され、イベントが増加しても、公共空間はアーティストに開かれたものにはならないであろう。それはストリートでのイベントに全てのアーティストがアクセスできるわけではないからである。それどころか、そのようなイベントに適合するようなアーティストの選別が進行するであろうし、イベントそのものも東京の賑わい創出に資する消費空間として立ち現われよう。

ここで紹介された公共空間に含まれる「公共(性)」の3つの分け方が興味深かったです。出典は、斎藤純一「公共性」(岩波書店, 2000)

  1. 国家が法や政策を通じて国民に行う活動で、公的なもの(official)
  2. 共通の利益・財産、共通に妥当すべき規範、共通の関心事といった、全ての人々に関係する共通のもの(common)
  3. アクセスすることを拒まれない空間や情報であり、誰に対しても開かれているもの(open)

ヘブンアーティスト制度で損なわれている公共性は、openの部分ですね。
このような考えは、雪竹太郎さんの主張が拠る根拠なのかな、と思います。

個人的な感覚ですが、ヘブンアーティスト制度発足当時にあったこのような問題意識は、アカデミックにも、パフォーマー当事者にも、現在希薄になっているのではないでしょうか。

ヘブンアーティスト制度発足時直後が、論文数が一番多く(すみません、ちゃんとカウントしていないので印象なのですが)、なおかつ、関心事は都市における管理の問題に集中しているような印象です。

そして、パフォーマーにしても、ヘブンアーティスト開始から16年経ち、すでに「与えられたもの」「当たり前にあるもの」という意識が多数。
制度として、利用しやすくなることが関心であって、ヘブンアーティスト制度が孕む社会的な問題を意識することはほぼないのでは…かくいう私がそうなのですが。
みんなどうなのだろう。

先にあったヘブンアーティストへのインタビューでもあったのですが、結局、稼がなくてはならない。そのためには制度を利用する。
思想に殉ずるか、食うための手段を確保するのか…というと、「パフォーマーとして生きてゆく」ということの優先順位が高くなりますよね…

山口晋氏の論文たちを読んでいて、私は「ヘブンアーティストとはなんであるのか」に思いを巡らせることになりました。

それは、当事者である私にはものすごくシンプルなことであったし、
もしかすると、問題を見ないふりしていた部分や諦めていた部分もあるかもしれません。

まとめ、というか雑感

山口論文を通して、ヘブンアーティストが含む「行政による大道芸の管理」について考えることになりました。

制度としてヘブンアーティストには「公共性」に問題がある、というのは確かそうです。

それとは別に、「公共性」とは何か、パフォーマーが活動してゆく上で皆が肝に銘じるべきことなのだと思います。
「公共性」を無視して、場所を私物化するような振る舞いによって場所がなくなった…という例もしばしば聞きますしね。
…これはどちらかというとモラルの問題かな。

公共性とモラルについては雪竹論文にて扱われているので、
次の記事では雪竹さんの主張にフォーカスを当てたいと思います。

また、ヘブンアーティスト制度も年々変化しています。
現在までのヘブンアーティストの年表を作成して、どのような変遷を辿っているのか明確にすることが、今後の課題ですね。(本来、最初にやることな気も…)

ここで見たようにヘブンアーティスト制度自体、根本的な問題を孕んでいるようにも思うのですが、
その部分も含めて、少しずつ「よくして行こう!」という前向きな発展を遂げているように感じています。

実際どうなのか。
将来明らかにしたいです。

そんなこんなでヘブンアーティストを考える旅は続きます。

ご意見・感想をお待ちしています。

お名前 (必須)

メールアドレス (必須)

題名

メッセージ本文

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です